自分の苦しさに向き合って

この世の中、みんな競争していると分かった。

親は子供に消費財として良い学歴、有名企業への就職、高収入を得ることを求めている。

世の中の価値観がそうなっているのだから、みんな親のペットとして子供は頑張っている。

親を喜ばせる為に、高学歴になるように頑張り、有名企業への就職できるように頑張り、高収入になるように頑張る。

子供はみんな親のペットだから、ペット同志は仲良くなれるわけがない。

摂食障害や引きこもり、うつ病の人が増えているが、みんなが持ってる価値観に乗れなかった人も寿命まで生きられるので、新しい価値観をどう作るのか、ということが求められているのだと思った。

順調に人生が進んでしまった人は世の中にたくさんいるから、新しい価値観に切り替わるには時間がかかるだろう。だけど、少しずつ少しずつ既存の価値観に疑問を抱く人が出てきて新しい価値観を作ろうとしている人がいたり、心が痛む人が増えてきて、国も対策しきれなくなり財政の問題にまで発展したとき、ようやく新しい価値観というものが浸透し始めるのだろう、と思う。

「今の時代、大学卒業していないとかありえないよね」

「何のための受験だったの?」

と言う友人の言葉はいつまでも引っかかっていた。本人は悪気もなく、悪びれるそぶりもなく、口から息を吐くように自然とそう言う言葉を話した。これが既存の価値観である。

そして、その言葉の背景には、親のペットとして頑張ってきた自分と、親の期待に応えるように生きることが出来た既存の価値観に乗って何不自由なく生きることが出来ていていると言う人生があるのだと分かった。

一歩引いてその人たちを観察してみると、この人たちはアラサー後半になっているのに、今も親の財力に頼って生きている人である。私の周りの人に特殊な人が多いのだろうか。仕事は両親、或いは片親の経営しているお店を継いでいたり、手伝っている人たちが、上記に記した言葉を平気で言うのである。親とは関係のないところで生きている友人がその場にもいたが、その人はそんな言葉は発しなかった。自分たちの身の丈にあった生活をしていて、自分たちで考えて子育てしている人たちであった。しかし、その人たちも多かれ少なかれ、子供を自分の失敗の二の舞にはさせないように教育に力を入れて、第二のペットを作り出しているのだろう。

そう思うと、私はどうしても生きていく気が失われてしまうのである。ただ経済的に自立していればいい、と言う問題ではないのだ。経済的な自立はもちろん大事なのだが、既存の価値観に染まっている人たちの輪の中でどうやって苦しまずに人間関係を作って行けるのか、と言うところで人間力が試されるのだろうと思う。

みんな同じ価値観で生きているって恐ろしい。私は新しい価値観の人に出会いたい。新しい価値観を持っている人たちの輪の中で切磋琢磨しながら生きたいと切に願う。