小学校教師って損得勘定を考えの中心にしている人が多いの?

知り合いに小学校教師(何十年も務めた)がいるんだけど、その人があからさまな損得勘定の持ち主で、私は嫌われている側だから、嫌だな、と思う。

好きな人というか、恩のある人に対しては(その恩も金銭がらみだけどね)サービス精神旺盛に振る舞う。例えば、明るい声で、さも元気そうに声をかける。

 

私みたいに、あんたには恩というかお金をもらっていないからどうでもいい、と思っている人に対しては、無視。挨拶しても無視。

あからさま過ぎでしょ。

 

自分の気持ちにストレートなのはよく分かったけど、相手の気持ちを考えないというか、自己中心的な人なんだね。

 

娘だって東大とか一橋大学京都大学に行ったらまだしも、MARCHレベルで鼻にかけられると、哀れにさえ思ってしまう。娘の高学歴が自分の自信に繋がっているところが、自分の経歴に負い目を感じている現れだと思う。そういえばこの人は短大卒でした。

 

この人の二言目には「今日はお金を下ろす日だから〇〇に行かないといけないの」「今日はお金が入る日だから午後からは出かける」。お金のことで頭がいっぱい。小学校教師で給料は高いのだけど、それが自慢になっているということか。みんな私のもらっている給料の金額を大体知っている。それを自慢するために二言目にはお金が入るや、お金を下ろすだ、と言って、相手にいいなと思わせる作戦か。考え過ぎか。

何で二言目には毎回毎回お金という言葉が出てくるのだろうか。

 

この人は老い先短いおばあさんだから、損得勘定を考えの中心に据えて生きていても構わない。何なら早く逝ってくれ。老害。それにそんな人に小学生の世話されるとその考えが小学生にも伝わって迷惑だわ。

 

時代は損得勘定を超えた関係を求めています。

 

追加

嫌なことされから日頃から思っていたこと書いた。

何がいいとかよく分からない。

 

杏仁豆腐作ってみた

お湯で混ぜるだけでいい市販の素で杏仁豆腐を作ったことは何度かあった。

だけど、コンビニで売っている杏仁豆腐と味が変わらない、と思ってしまった。

なので、杏仁霜(きょうにんそう)を買ってきて、お湯を入れて混ぜるだけではなくて、自分で砂糖を測ったりして作ってみた。

まず、この杏仁霜の販売しているお店を調べて、カルディへ行った。日曜日のカルディは超混んでて、このたった一つの商品を買うのに長い列を並んで待った。こちらでは600円くらいで購入した。

作り方はこのプラスチック容器に記載されていて、水に砂糖、寒天、を溶かして、そこに杏仁霜と牛乳を混ぜたものを加えて、弱火で火を通すだけ。今容器に移して、冷蔵庫に入れるために冷ましている最中。あっという間にできた。

小学生の頃から杏仁豆腐が大好きだった。

理由はわからない。とにかく独特の味がお気に入りだった。

そう書いている内に理由を思い出した!中華料理屋さんでデザートに杏仁豆腐が出てきて、それが柔らかい杏仁豆腐でとろけるような美味しさで感激した。家でも食べたくて、おばあちゃんに頼んで素を一緒に買いに行ったんだった。

家で作ったやつもとろける食感で、独特の風味も美味しくて、ミルク感もあって、病みつきになったのだった。

中華屋さんに行くとデザートでは必ず杏仁豆腐を頼んで、固いタイプが出てくるとゲンナリしていた笑(作って下さった職人さんごめんなさい;)大人になった今は固いタイプも喜んで食べます。なんて言ったって、杏仁の独特な風味が大好きだから。

この杏仁の独特な風味が好きなのは大人になっても変わらず、今も好きで、さっきパッケージを見ると、杏仁霜の原材料名に、ブドウ糖、コンスターチが入っていたのに気がついて、この粉自体甘いじゃないか、と思って粉だけダイレクトにスプーンに少し盛って食べたら、案の定甘かった。そして予想を超えた甘さだった!ブドウ糖の甘さ、杏仁の風味、その後に残る粉っぽさ感。うん、美味しい、と言うより、好き♡。

4人分を作るのに、砂糖50グラムを入れて、さらに粉自体に砂糖と言うかブドウ糖が入っていて、砂糖水もかけるので、杏仁豆腐に限らず、デザートはそうだけれど、砂糖を自分が考えているよりも沢山使うのね。美味しいからいいけど、たまにじゃないと糖尿病になっちゃうから注意しなきゃ。こんなに砂糖を使うデザートだから、昔だったら、高貴な人しか食べられなかったのかもしれないと根拠のない推測をして、現代に生まれてきて良かった、と思うのであった。

 

積み重ねの威力

積み重ねるってすごい力を持っている

例えば、英語の勉強。

1年前には手も足もでなかった問題が、1年勉強を積み重ねたおかげで、スラスラとわかるようになっている!

「人間は習慣の積み重ねで出来ている」

と本で読んで、そうだとわかりつつも、だらだらしたり、人前に出ていないと鼻くそほじくったりしているから、上品になれないんだよな、と思う。

積み重ねた先に、今よりも人生を楽しめる自分になっているのなら、今から行動を正そうと思う。

 

生きることが下手くそ

私は生きることが下手くそだと思う。

こんなに下手くそだと、時間がいくらあっても、満足する人生を送ることはできないだろう。

下手くそだと、どこに行っても、不満を抱えて、終わるのだろう。

どうしたら、生きることが上手になるのだろう。

生きることが上手だな、と思う人は、例えば、税理士になる、〇〇選手になる、医者になる、スタッフになる、と何々になる、と決めている人。

そう考えると、私は何々になると決めたことがない。

いろんな可能性を残しておきたい、と思ったり、一つに絞ると他の今までやってきたことを全て捨てることになるのがもったいないと思って、結局何も捨てないで持って、可能性の数だけを広げている。

広く、浅く、とは私のことである。

可能性はたくさんあるより、一つだけの可能性にかけてみたら、生きるのが上手になるだろう。

今まで、一つの可能性にかけてみる、と言うことをやったことがなかったから、どうなるのかわからないけれど、とりあえず、可能性を一つに絞って、生きてみよう。

体型について

中学2年生の時、馬鹿な男から

「上半身の割に下半身が太いよね」

と言われた。

馬鹿な男と書いたけど、本当にこいつは頭が悪かった。

語彙力はないし、勉強はいつも最下位、部活はチャランポランにやってて、女の尻ばかり追いかけ回しているような奴だった。送られてくるメールにはいつも「やらせてくれ」だった。

ちょうどその頃、私は自分の体型について悩んでいた。

陸上部に入って、知識のない顧問の先生についていたら、あっという間に脚が太くなってきたことを自覚していた。自分でも足が太くなってきて嫌だな、と思った。足が太くなる割には成績は伸びないし、私は顧問にいじめを受けていたので、得意種目をさせてもらえない、とい嫌がらせを受けていた。近くの学校は全国大会優勝しているのに、うちの学校は都大会すら誰も進めなかった。顧問はやる気がなくて、タバコとコーヒーを仕切りに飲んでいて、すごく臭かった。

うちの学校が足が細い子が勝ち組、と言う校風があったことも確かだった。

私は足が太いことで学校で負け組に入っていた。どんなに勉強ができても、体型が悪かったら負け組。一般的な学校とは違っていた。どんなに馬鹿でも足が細かったら勝ち組、まあまあ勝ち組だった。

 

今日やっと自分の体型が認められた。

私は陸上をやって、足を早くする為に足を作った。

見せ物にする足を作るようなバレエやダンスをしなかったから、早い足を作る為に足が太くなったと言うか、それ相応に太くなっていった。

 

だから、もう細くしようとしなくていいんじゃない。

事実、私は足が速いのだし。高校生の時は学年で一番早かったのだし。

ユーチューブで実業団の短距離走を見たときに、私と同じ体型だ、と思った。

私の体型は短距離走を走るための体型なのだ。

見せ物のための体型ではない。

だからモデルのように細くない。

ジーンズを履いても、スラッっとした細さではない。

そう言う足の人はバレエなどの見せるための足を作った人の足なのだ。

だから、私はもう足を細くしようとしなくていい。

そして、この自分を受け入れてくれる人を見つけよう。

私の体型は私がどうやって生きてきたのか、と言う歴史を刻んでいるのだから。

それも嫌だけどさ。

やっぱり諦めたくない

私はやっぱり音楽を諦めたくない。

でもどうやって音楽の仕事や、練習をして生きて行っていいのかわからない。

それに、私は音楽だけに絞って生きていける気もしない。

30で自律、40で不惑と言う。

40になるまで絞って生きられないのかな。

ただ一つだけわかることは音楽を諦めたくないってことだけ。

趣味でもいいけど、平日の昼間のレッスンに通えるようにするにはどうしたらいいのやら。

 

心境の変化

悟りを開いたと言うか、何で自分が苦しんでいるのかが理解出来て、これからどうしたいのか、自分の意志がはっきりしたら、何年も苦しんできたことが嘘のように、苦しい気持ちが取れた。

(何で私働いていないんだろう?)

(何で朝のこの時間に家にいるのだろう?)

(会社に行かなきゃ)

と思った。

そろそろ働こうと思う。