失ってから気づくもの

私は自分の苦しさを表に出し過ぎてしまったことに気が付いた。

だから私にとって大事な人はもう戻ってこなくなってしまったのだ、と今更ながらに気が付いた。

去年一年間はずっと心に秘めていたことをやって、やっと自信を持てた。人生のスタート地点、気持ちを作る、情緒を作るスタート地点に立てた。

だけど一昨年は、まだ心からやりたいことをやれなかったので、自分に全くと言っていいほど自信が無くて、暗くて、頑張って私のこと励ましてくれた人がいたけれど、その人に対しても、苦しさをぶつけてしまった。あんなに私の気持ちを理解しようと行動してくれたことを今になってはありがたいと思うけれど、当時はなんで分かってくれないの!と自分のことしか考えられなくて、怒っていた。

心のストレスの1つを解消できた今、その人の話を聞きたいと思うし、その人と話をしたい、と思う。分かってもらえなくても、分かろうとする姿勢を見せてくれた、というのは尊いことなのかもしれない。薄っぺらい人間は私の話を理解しようとするどころか、共感しようとしてくれたけど、話のレベルが違う。薄っぺらい人は浅いところで理解しようとする。それは無意味に等しい。そして自分のわからない痛みを面白がった。だけど、深い理解力のある人はちゃんと相手の痛みを理解しようとする。真剣に理解しようとする。それは社会的な地位やそういう肩書とは関係なく、いや、その人も十分な学歴と肩書は持っていたが、人間性なのだ。私はその人間性を理解できなかった。苦し過ぎて、辛過ぎて、なんで分かってくれないの、なんで救ってくれないの、なんで応援してくれないの、としか思えなかった。

ところで私の人間性ってどうなんだろうね。

私は疲れた。

もう限界なのかもしれない。

果てしなく高い目標じゃ無いと満足できないのに、

果てしなく高い目標を目指すことが、今のままでは厳しいと思うと疲れた。

仲間がいないからだろう。一人で戦っているからだろう。身内は誰も私を見てくれない。地位や給料のことばかりで、私自身は何を持っているのか、を全然、全く見てくれない。

疲れた。私は疲れた。